飯坂スカイラインその後

昨年(2007年)の暮れにある方からお便りを頂いた。
あの調査杭を打たれた方からのようである。
ご本人に了解を得たので以下内容を示します。

あの辺の地名は桑折町大字松原字源風森、字東油畑といいます。
昭和30年後半にある農家の方が国からあの周辺の土地を払い下げてもらい、国の補助で開墾し、大根等の高原野菜を栽培しましたが、10年もしないうちに撤退したそうです。

当時、あの廃屋に寝泊りして耕作していたそうです。当時はまだ車も普及してなく、自宅のある桑折町まで約15キロの道のりをトラクターで来たそうです。

道路は行き止まりですが、手前200mほどから徒歩で沢に下ると桑折町の半田山牧場に抜けます。行き止まりの西側の尾根を800mほど歩く(笹薮で道型はありません)と道路にぶつかります。

西に行くと福島市茂庭の蓮華滝方面、東に行くと国見町の国見牧場に出ます。しかし大変荒れていて数台のバイクで行ってみんなで押した記憶があります。摺上川ダム展望台の資料館に行くと昔の地図があり道路が繋がっていたことがわかります。

と言うことで、牧場ではなかったようだが、開拓農家の方が入っていて、その跡があの段々畑であったようだ。
道とは言えないようだが、北へ向かう踏み跡も確かに存在したらしい。

レポートから5年、最初の訪問から10年あまりが経つがその後あの一帯はどんな風になっているのだろう。
どなたかいかれた方いましたらお便りください。

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